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2008.01.21
まだ演ってた

CINEMA : パンズ・ラビリンス(Pan's Labyrinth)
TEATER : 新宿ガーデンシネマ
DATE : 20080120
身の回りにいろいろ動きがあって、春の嵐のように過ぎた年末年始。
すこし自分を見失いかけていた気がするので、バランスを取り戻すために、そのきっかけになればと思って、映画でも観ることにしました。
ひとつ、前々から観たいと思っていた作品がありました。
封切からかなり時間が経っている単館系の作品ですが、ダメ元でチェックしてみたら、新宿ガーデンシネマの最終日曜に間に合いました。
パンズ・ラビリンス。舞台は、フランコ政権下のスペイン。
出口の見えない現実世界と、子供にしか見えない幻想世界とが同時進行してゆく、大人の残酷童話。
ものすごく切ないラスト。
主人公の魂を除いては、誰も救われない結末を迎えるのだけど、でもそのために、現実とファンタジーとがそこで妥協なく融合し、この作品の魅力を決定付けていました。
監督はメキシコ出身のギレルモ・デル・トロ(Guillermo Del Toro)という人ですが、この作品を観るまでは全く知りませんでした。
あの国は、時々破天荒で面白いものが出てくるという魅力がありますね。
久しぶりに観る映画としての異化作用は申し分なく、情動を撹乱され、押し流され、洗われ、固着しかけていた感性を再びときほぐしてくれたような気がします。
映画館を出たの現実を、自分を含めて変えてくれるような魔力はないけど、再びまっすぐ向き合ってみよう、という気力を少し取り戻してくれたことは確かです。
2007.04.04
サウラのファド映画
ネットをチェックしていたら、映画「フラメンコ」や「タンゴ」を撮ったスペイン人監督カルロス・サウラ(Carlos Saura)が、ファドの映画を製作しているという情報が目にとまりました。すでに昨年末の「ラティーナ」に情報が載っていたようですね。
今年5月のカンヌでワールドプレミアとなるようです。おそらく、これまでのサウラのスタイルだと、ずばり"Fado"という原題で公開されるのでしょう。
歴史を回顧するような映像も使われるほか、現代の主要なファド歌手・奏者も何人か登場し、中でもMarisaの扱いが大きいようです。
サウラのファド映画ですか・・・監督が切望して撮ったというより、委嘱された作品という意味合いが強そうですので、期待7分不安3分というところ。
いや、むしろ感情的に客観的な方が、いい映画になるかもしれませんね。サウラの場合。音楽に対する情熱は人一倍だと思いますが、体系的に捕らえようと(上方から俯瞰しようと)する視点を持っているようですから。
おそらく、日本公開されるでしょうから、その日を待ちたいと思います。「フラメンコ」では、マドリード・アトーチャの旧駅舎に仮設ステージを作ったサウラが、「ファド」ではどんな演出を見せてくれるのか、ちょっと楽しみです。
同時に、地面の方からの視点で、誰かファドの映画を撮ってくれると面白いのですが。名も知られぬファディシュタ達やファドハウスをとりあげて。
ちなみに、元ネタの1つです↓。私はポルトガル語は全然分からないので、読める方は正しい情報をこちらからどうぞ。
http://www.portaldofado.net/index.php?option=com_content&task=view&id=260&Itemid=67
今年5月のカンヌでワールドプレミアとなるようです。おそらく、これまでのサウラのスタイルだと、ずばり"Fado"という原題で公開されるのでしょう。
歴史を回顧するような映像も使われるほか、現代の主要なファド歌手・奏者も何人か登場し、中でもMarisaの扱いが大きいようです。
サウラのファド映画ですか・・・監督が切望して撮ったというより、委嘱された作品という意味合いが強そうですので、期待7分不安3分というところ。
いや、むしろ感情的に客観的な方が、いい映画になるかもしれませんね。サウラの場合。音楽に対する情熱は人一倍だと思いますが、体系的に捕らえようと(上方から俯瞰しようと)する視点を持っているようですから。
おそらく、日本公開されるでしょうから、その日を待ちたいと思います。「フラメンコ」では、マドリード・アトーチャの旧駅舎に仮設ステージを作ったサウラが、「ファド」ではどんな演出を見せてくれるのか、ちょっと楽しみです。
同時に、地面の方からの視点で、誰かファドの映画を撮ってくれると面白いのですが。名も知られぬファディシュタ達やファドハウスをとりあげて。
ちなみに、元ネタの1つです↓。私はポルトガル語は全然分からないので、読める方は正しい情報をこちらからどうぞ。
http://www.portaldofado.net/index.php?option=com_content&task=view&id=260&Itemid=67
2006.03.24
愛より強い旅

あまりピンとこない邦題なのですが、原題は"EXILS"(放逐?)というシンプルなもの。
ロマと音楽をテーマに作品をとり続けるトニー・ガトリフ監督の、日本公開5作品目。東京では年末に公開されていたものが、ようやく名古屋に回ってきました。単館系は、なかなかこないなー、と思って待ってるうちに、短期間の上映で終了ということがあるので、油断できません。名古屋の場合。
音楽は素晴しかった!マグレブ音楽のショウケース的映画なのかな、と思っていたけど、フラメンコベースのテーマ曲も、よく聴くと、なにか混ざってる感じ。
後でサントラを買って確かめてみたら、曲によっては「ガッジョ・ディーロ」に出てたローナ・ハートナーや、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスのような東欧のミュージシャンも起用されているようです。
終盤を印象付けるトランス音楽も、ガトリフのアイデアで独特の楽器編成になっているらしく、監督の音楽的経験そのものが、独自のフュージョンを生み出しているようです。
劇中、「宗教は何か」と訊かれた主人公が「音楽だ」と答えるシーンがありましたが、あれはガトリフ自身の独白なのでしょう。
しかし、音楽的には満足したのに、見終わった後の充足感がなぜかイマイチ…
主人公たちがルーツへと遡行していく過程に、切実さが感じられなかったせいでしょうか。純粋に映画として楽しむことは、私にはできなかったようです。
2005.06.05
Bad Education
Cinema >> Bad Education
Theater >> センチュリーシネマ
「ペドロ・アルモドバル観た?」と、Cafe Dufiで言われて初めて気付くくらいだから、最近はホントに映画にチェックを入れてない。実は、「トーク・トゥー・ハー」は個人的にあまり好みではなかったのだけど、今作はトレイラーに興味を惹かれたこともあって、観に行くことにした。
色彩が印象に残る。例えば、フアンの持つバラの赤。映画監督エンリケの乗るシトロエンGSAの赤。しみ一つないその赤は、監督が保持しつづけた「情熱」というより、むしろ、誰にも混ぜものをされたくない美意識そのもののように見える。自分の過去に係った2人(そしてあまりにも変わり果てた現実を見せつけた2人)から逃げるように遠景で角を曲がってゆくシーンが、更にその印象を強める。
少年の歌うムーン・リバー。永遠には続かないものへのオマージュとして、これほど美しくはかなげな表現に出会うとは。作中の監督が、アルモドバル自身でないとしても、少なくとも魂を反映しているのでなければ撮れない映画だと思った。
しかし、観終わって、「この映画をすべての人々にささげる」という監督の言葉を思い出した時、とたんに解せない気分になった。ごく私的なこの物語の、一体どこに普遍性があるというのか?暫く考えても判らなかったのだが、帰る道すがら、ふと思い当たった。いずれ全て変わってしまうということがわかっていながら、今この時をフィルムに焼き付けるという、映画を撮る行為そのものが、この世界に対する監督の愛に他ならないのだ。きっと。
そして、例えば美しいものは永遠に美しくはないが、美を美と感じる心は永遠に変わらないという、確信。でなければ、どうして映画など撮り続けることができるだろう。どうしてここまで切実な物語になるだろう。その象徴がきっと、あの赤。これは、映画のための映画なのかもしれない。
Theater >> センチュリーシネマ
「ペドロ・アルモドバル観た?」と、Cafe Dufiで言われて初めて気付くくらいだから、最近はホントに映画にチェックを入れてない。実は、「トーク・トゥー・ハー」は個人的にあまり好みではなかったのだけど、今作はトレイラーに興味を惹かれたこともあって、観に行くことにした。
色彩が印象に残る。例えば、フアンの持つバラの赤。映画監督エンリケの乗るシトロエンGSAの赤。しみ一つないその赤は、監督が保持しつづけた「情熱」というより、むしろ、誰にも混ぜものをされたくない美意識そのもののように見える。自分の過去に係った2人(そしてあまりにも変わり果てた現実を見せつけた2人)から逃げるように遠景で角を曲がってゆくシーンが、更にその印象を強める。
少年の歌うムーン・リバー。永遠には続かないものへのオマージュとして、これほど美しくはかなげな表現に出会うとは。作中の監督が、アルモドバル自身でないとしても、少なくとも魂を反映しているのでなければ撮れない映画だと思った。
しかし、観終わって、「この映画をすべての人々にささげる」という監督の言葉を思い出した時、とたんに解せない気分になった。ごく私的なこの物語の、一体どこに普遍性があるというのか?暫く考えても判らなかったのだが、帰る道すがら、ふと思い当たった。いずれ全て変わってしまうということがわかっていながら、今この時をフィルムに焼き付けるという、映画を撮る行為そのものが、この世界に対する監督の愛に他ならないのだ。きっと。
そして、例えば美しいものは永遠に美しくはないが、美を美と感じる心は永遠に変わらないという、確信。でなければ、どうして映画など撮り続けることができるだろう。どうしてここまで切実な物語になるだろう。その象徴がきっと、あの赤。これは、映画のための映画なのかもしれない。
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