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2005.06.23
Os Cinco no Choro
LIVE >> 「5のChoro」熊本尚美とリオ・デ・ジャネイロの仲間たち
DATE >> 2005/06/22
PLACE >> TOKUZO(名古屋・今池)
およそ1年ぶりのTOKUZOでのライブ。
立ち見も溢れるほど窮屈だった前回の盛況をうけて、2daysとなった名古屋公演の2日目を聴いた。
ツアー終盤でお疲れ気味?な印象もあったけど、去年と比べていろんな意味で格段に余裕があった。
奏者の熊本尚美さんはもちろん、聴衆の側もこの1年でショーロに対する理解が深まっていることがはっきり分かる。
そのせいか、他の4人のプレイヤーが個性を発揮する機会が増えて、随所に耳を楽しませるアイデアを盛り込んでくれた。
もうちょっと、カバキーニョが自由に歌うのも聴きたかったのだけど、ルシアーナはあまりソロを積極的にとらない。
楽器の特性?それとも、アンサンブルに徹したいから?
ライブ会場で売られているものにも変化があった。
去年は各奏者の参加したCDのみが置いてあったが、今回はOs Cinco no Choro名義のCDがなんと楽譜と共に売られ、
更にはメンバーが編集に関わったショーロの教材(ジャズでいうところのマイナスワン)まで用意されていた。
ショーロを普及させようとする熊本尚美さん及びACARIレコードの意気込みはホンモノらしい。
ライブの最後はスタンディング・オベーションで締めくくられた。
この盛り上がりなら、また近いうちに名古屋で本格的なショーロを聴ける日が来るだろう。
DATE >> 2005/06/22
PLACE >> TOKUZO(名古屋・今池)
およそ1年ぶりのTOKUZOでのライブ。
立ち見も溢れるほど窮屈だった前回の盛況をうけて、2daysとなった名古屋公演の2日目を聴いた。
ツアー終盤でお疲れ気味?な印象もあったけど、去年と比べていろんな意味で格段に余裕があった。
奏者の熊本尚美さんはもちろん、聴衆の側もこの1年でショーロに対する理解が深まっていることがはっきり分かる。
そのせいか、他の4人のプレイヤーが個性を発揮する機会が増えて、随所に耳を楽しませるアイデアを盛り込んでくれた。
もうちょっと、カバキーニョが自由に歌うのも聴きたかったのだけど、ルシアーナはあまりソロを積極的にとらない。
楽器の特性?それとも、アンサンブルに徹したいから?
ライブ会場で売られているものにも変化があった。
去年は各奏者の参加したCDのみが置いてあったが、今回はOs Cinco no Choro名義のCDがなんと楽譜と共に売られ、
更にはメンバーが編集に関わったショーロの教材(ジャズでいうところのマイナスワン)まで用意されていた。
ショーロを普及させようとする熊本尚美さん及びACARIレコードの意気込みはホンモノらしい。
ライブの最後はスタンディング・オベーションで締めくくられた。
この盛り上がりなら、また近いうちに名古屋で本格的なショーロを聴ける日が来るだろう。
2005.06.11
再びブラジル
佐藤正美 & 安井源之新ライブ
DATE >> 2005/06/10
PLACE >> Cafe Dufi
源之新さんのライブは、いつも好みのド真ん中ストレート。
でも、この日は佐藤正美さんのキレが凄かった!あ、この曲は耳をサボらせてもいいかな?なんて思ってると、振り向かずにはいられないフレージングが…
おかげで、ライブスペシャルメニューのブラジル風チキンライスが冷えてしまったではないですか!冷えても旨いからいいけど(笑
源之新さんの手の動きもかなり気になったけど、この日はほとんどギターに釘付けでした。聴衆の盛り上がりはフツーでしたが、プレイの方は、今まで聴いた中では最高、だったと思います。
DATE >> 2005/06/10
PLACE >> Cafe Dufi
源之新さんのライブは、いつも好みのド真ん中ストレート。
でも、この日は佐藤正美さんのキレが凄かった!あ、この曲は耳をサボらせてもいいかな?なんて思ってると、振り向かずにはいられないフレージングが…
おかげで、ライブスペシャルメニューのブラジル風チキンライスが冷えてしまったではないですか!冷えても旨いからいいけど(笑
源之新さんの手の動きもかなり気になったけど、この日はほとんどギターに釘付けでした。聴衆の盛り上がりはフツーでしたが、プレイの方は、今まで聴いた中では最高、だったと思います。
2005.06.05
Bad Education
Cinema >> Bad Education
Theater >> センチュリーシネマ
「ペドロ・アルモドバル観た?」と、Cafe Dufiで言われて初めて気付くくらいだから、最近はホントに映画にチェックを入れてない。実は、「トーク・トゥー・ハー」は個人的にあまり好みではなかったのだけど、今作はトレイラーに興味を惹かれたこともあって、観に行くことにした。
色彩が印象に残る。例えば、フアンの持つバラの赤。映画監督エンリケの乗るシトロエンGSAの赤。しみ一つないその赤は、監督が保持しつづけた「情熱」というより、むしろ、誰にも混ぜものをされたくない美意識そのもののように見える。自分の過去に係った2人(そしてあまりにも変わり果てた現実を見せつけた2人)から逃げるように遠景で角を曲がってゆくシーンが、更にその印象を強める。
少年の歌うムーン・リバー。永遠には続かないものへのオマージュとして、これほど美しくはかなげな表現に出会うとは。作中の監督が、アルモドバル自身でないとしても、少なくとも魂を反映しているのでなければ撮れない映画だと思った。
しかし、観終わって、「この映画をすべての人々にささげる」という監督の言葉を思い出した時、とたんに解せない気分になった。ごく私的なこの物語の、一体どこに普遍性があるというのか?暫く考えても判らなかったのだが、帰る道すがら、ふと思い当たった。いずれ全て変わってしまうということがわかっていながら、今この時をフィルムに焼き付けるという、映画を撮る行為そのものが、この世界に対する監督の愛に他ならないのだ。きっと。
そして、例えば美しいものは永遠に美しくはないが、美を美と感じる心は永遠に変わらないという、確信。でなければ、どうして映画など撮り続けることができるだろう。どうしてここまで切実な物語になるだろう。その象徴がきっと、あの赤。これは、映画のための映画なのかもしれない。
Theater >> センチュリーシネマ
「ペドロ・アルモドバル観た?」と、Cafe Dufiで言われて初めて気付くくらいだから、最近はホントに映画にチェックを入れてない。実は、「トーク・トゥー・ハー」は個人的にあまり好みではなかったのだけど、今作はトレイラーに興味を惹かれたこともあって、観に行くことにした。
色彩が印象に残る。例えば、フアンの持つバラの赤。映画監督エンリケの乗るシトロエンGSAの赤。しみ一つないその赤は、監督が保持しつづけた「情熱」というより、むしろ、誰にも混ぜものをされたくない美意識そのもののように見える。自分の過去に係った2人(そしてあまりにも変わり果てた現実を見せつけた2人)から逃げるように遠景で角を曲がってゆくシーンが、更にその印象を強める。
少年の歌うムーン・リバー。永遠には続かないものへのオマージュとして、これほど美しくはかなげな表現に出会うとは。作中の監督が、アルモドバル自身でないとしても、少なくとも魂を反映しているのでなければ撮れない映画だと思った。
しかし、観終わって、「この映画をすべての人々にささげる」という監督の言葉を思い出した時、とたんに解せない気分になった。ごく私的なこの物語の、一体どこに普遍性があるというのか?暫く考えても判らなかったのだが、帰る道すがら、ふと思い当たった。いずれ全て変わってしまうということがわかっていながら、今この時をフィルムに焼き付けるという、映画を撮る行為そのものが、この世界に対する監督の愛に他ならないのだ。きっと。
そして、例えば美しいものは永遠に美しくはないが、美を美と感じる心は永遠に変わらないという、確信。でなければ、どうして映画など撮り続けることができるだろう。どうしてここまで切実な物語になるだろう。その象徴がきっと、あの赤。これは、映画のための映画なのかもしれない。
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